私を必要ない存在と言いながらも生活する上で必要な支度はすべてこなしていないといけない
ひとつでも欠けていたら信じられないくらいの罵声を浴びせかけられます。
朝食の準備、スーツ、シャツ、ネクタイは定期的にクリーニングに出して準備しておく、靴を磨く・・・細かいことを言えば新聞の配置やモーニングコーヒーの準備まで、決まった時間に決まった場所にしておかなければ怒鳴りつけてきます。
この20年以上、その生活を続けていますが、時には子供が体調を崩したり、自分自身が体調を崩すこともありました。そのときはどうしても家事のひとつやふたつ抜けてしまいます。
そんな時でも主人は私に罵声を浴びせ、次の日には主人の親族にも話が伝わりそこからも非難されるのです。
義理の母は私をいびることを生き甲斐にしているような人です。昔から口が達者で周囲には彼女の発言はすべて正しいと思い込んでいるような、ある種の信者のような人たちがいるようで、一部の地域では私はすっかり悪者のようです。
胃に穴が空いたこともあります。ストレスで片方の耳がほとんど聞こえません。目の前が真っ白になって、しばらく視界がぼやけていたこともありました。今まで数えきれないほどの障害が私の身に起こり、これならいっそ死んでしまったほうが楽なんじゃないだろうか?そう感じたことも何度もありました。数えきれないほど。
こうして自分の本音を言える場がない状態で20年以上すごし、私の心はすっかり抜け殻のような状態になってしまったかもしれません。
社会の中で、私というちっぽけな存在がどれほど必要とされているかわかりません。突然ぽっと消えても誰も困らないような気さえします。
しかし、ひょっとしたら新しい生活をスタートさせることができれば私の周囲の環境も価値観も変わるのではないか?と考えています。それが主人との離婚。親族との決別です。
じっくり時間をかけて作戦を練ります。今までの長い我慢に比べれば、今年1年かけて綿密な計画を立てるくらい簡単なのですから。