今すぐ消えてしまいたい

主人の親族にいびられ続けて精神的に限界です

考え直してみました、やはりあり得ません

ほんの数日でしたが、できるだけ何も考えないようにして過ごしたおかげで頭がスッキリして前向きな思考を手にいれることができたと思います。まだこの先のことを考えれば不安は残っていますが、先日の絶望的な感情とは全く異なります。

 

主人の言葉を思い出していました。息子を通して話を聞くから尚更なのかも知れませんが、本当に反省している、真剣に私のことを心配している、この先の人生は一緒に過ごしたいと思っている、今までの態度を改める・・・そのように言われて、正直なところ会って話をしてもいいのかな?と思っている部分もありました。

 

離婚はもうしない

 

さすがにそのような考えには至りませんが、会って話をして、あの人が本当に態度を改めてくれるのなら、もう一度だけ話を聞いて判断してみてもいいのかな?と・・・私の甘い部分、ダメなところなのですが。そう考えてしまったのは事実です。

息子も家族同士の話し合いを望んでいますし、このまま家族がバラバラにならず平和的な解決ができれば最善だと思っているでしょう、その必死な訴えを聞いている内に、その気持ちを尊重してあげたくなってきたのです。

 

 

 

しかし、考え直しました。

あの人のこと、今まで20年以上も苦しんできたことをもう一度思い返してみました。毎日の身近な家事のことを思い返しても酷いものでした。毎朝決まった時間に朝食が用意されていること、お弁当が準備されていること、新聞は定位置に置いてあること、出社のための身支度の準備がされていること、靴は毎日磨かれ揃えておいてあること、毎日の持ち物(小物類)は玄関の定位置に揃えておくこと、家の掃除は完璧にしておくこと、お風呂の準備(必ず一番風呂は主人)は帰宅前に済ませておくこと、夕飯は和洋中主人の気分を予想して準備をしておくこと・・・

 

列挙すればきりがありませんが、これらの内ひとつでも滞れば、罵声、暴力、破壊などが降りかかります。私は毎日恐怖に怯え、ストレスを感じながら縮こまって生活をするしかないのです。

自分の時間を削り、自分のお金を削り、週末にはむつみや義理の母の接待をして心の休まるところなどほとんどない状態で生活をしてきて、ようやくあそこから逃げ出して掴みかけた自由。この自由を手放すことなんて、やはりどう考えてもあり得ません。

 

あの人と会うという選択肢は考えてはいけませんね。息子がどう言って来ても、それは断固として断らないといけないものだと気付きました。

あの人が今どんな言葉を並べ立てたとしても、そんなものはすぐに忘れてしまう。その通りだと思います。すぐに今まで通りの状態に戻るに決まっています。私がいるのが当たり前になって、元どおりの生活になるのです。その時抗議しても受け入れてもらえないのは目に見えています。

 

冷静に自分と向き合ってみて、改めて感じました。あの人への愛情はもうひとかけらも残っていないのだと。息子には申し訳ないですが、もう私は主人・・・元主人には会えません。