くれぐれもこの家を出て行こうなんて考えるんじゃないよ。お前のような女は外で1人では生きていけるはずがない
昨日義理の母に言われた言葉です。今までも、この30年近くつづく地獄のような日々の中で、ことわるごとにあの人は私に「離婚」をさせないようにと釘をさします。
むつみが離婚を経験しているから警戒をしているのか、自分が私を責めたことにより、私が気を病んでいることを自覚しているのか・・・お前なんて必要ない、いない方がマシ、顔を見ただけでイラつくと言いながらも、離婚を考えるんじゃないと頻繁に忠告してくるのです。
ひょっとしたら、自分の息子こそが、1人では何もできない人間だという事を分かっているからこそ?の発言かも知れません。
家では偉そうにしていますが、年齢の割には会社での立場も大した事はありませんし、あの人の中身は本当に子供です。へりくつや機嫌の悪くなるタイミングなど、外の世界の誰も知り得ないあの人の本性は、ただの聞き分けない子供・・・あんな人に育てられたから、子供の頃のまま成長してしまったのでしょうね。哀れです。
私は決して裕福ではありません。どちらかというと、自分で自由に使えるお金の事を考えたら貧しい生活に近いかも知れません。しかし、心の貧しい人間になってはいけないよ、と亡き父から教わって育ったので、どんなに辛い時でも心だけは貧しい人間にならないようにと過ごしてきました。
そして、その想いは自分の子供たちにも受け継いできたつもりです。
主人は心の貧しい人間です。それは誰が見ても明らかです。
義父母もむつみも、心の貧しい人間です。人が悲しんだり、困ったりしている姿を見て楽しんだり、喜んだりしているような信じられない人たちです。私には、目の前で苦しんでいる人がいたら、その人がいくら嫌いな人だとしても、笑ったり喜んだりすることはできません。その神経が理解できないのです。
子供たちはあの人たちと同じ血を継いでいますが、そのような感情を持って生まれなくて本当に良かったと安堵しています。私の事を心配し気遣ってくれるあの子たちには、私が歩んできたような苦しい人生は何があっても歩んでほしくない。
私が心配するまでもなく、しっかりと育っていますから大丈夫なのでしょうけれど。
今日の夕飯は、炊き込みご飯を作りました。それから鶏肉が安かったのでブロッコリーなどの野菜と炒めました。お味噌汁はたまねぎとお揚げ。小鉢に桜エビと小松菜でつくったお浸しと里芋の煮っころがしを。
栄養バランスを考えて今まで食卓をかざってきましたが、主人から感謝されたことは一度もありません。それが当たり前になりすぎて何も感じていませんでしたが、よくよく考えると切ないものですね。
でももう少し、もう少し我慢すれば私はあんな人に食事を作らなくて済むようになります。人にも食材にも感謝しないひとは、きっとこの先食べ物のことで苦労します。
50才を過ぎて、いただきますも、ごちそうさまも口に出さない人。心がすさんでいますよね。
もうすぐあの人が帰ってきます。
食事の準備も、お風呂の準備も済ませました。あとは食べてお風呂で温まって寝るだけの状態にしていても、きっと何かしらの文句をつけてくるでしょうね。
それが彼の生きがいなのですから。悲しいものです。
私がここから消えてしまうまで、好きに言わせておけばいいんです。
そして、出来る限り証拠として保存します。
私にはたくさんの味方がいるので、あの鬼たちには負けません。